福岡高等裁判所 昭和45年(ネ)205号 判決
主文
一、原判決を次のとおり変更する。
(一) 被控訴人堤義広及び同堤一馬は、各自控訴人堤久儀に対し金一七九万九、五四七円及び内金一五九万九、五四七円に対する昭和四三年六月一五日以降、内金二〇万円に対する昭和四五年三月三日以降、いずれも完済に至るまで年五分の割合による金員を、控訴人堤一儀、同堤武男及び同堤京子に対し、各金八三万三、六六四円ずつ及び各内金七六万三、六六四円に対する昭和四三年六月一五日以降、各内金七万円に対する昭和四五年三月三日以降、いずれも完済に至るまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。
(二) 控訴人らの被控訴人堤義広及び同堤一馬に対するその余の請求並びに被控訴人堤義光、同堤アヤ子、同堤照彦及び同富重義人に対する請求は、いずれもこれを棄却する。
二、訴訟費用は、第一・二審を通じ、控訴人らと被控訴人堤義広及び同堤一馬との間においては、控訴人らに生じた費用の九分の一を被控訴人堤義広及び同堤一馬の連帯負担とし、その余は各自の負担とし、控訴人らと被控訴人堤義光、同堤アヤ子、同堤照彦及び同富重義人との間においては、全部控訴人らの連帯負担とする。
三、この判決は、控訴人ら勝訴の部分にかぎり、仮りに執行することができる。
事実
控訴人ら代理人は、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人らは、各自、控訴人堤久儀に対し金二八三万五、六五二円及び内金二四九万六、〇五二円に対する訴状送達の日の翌日以降、内金三三万九、六〇〇円に対する昭和四五年三月三日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、控訴人堤一儀、同堤武男及び同堤京子に対し各金一七三万三、一一〇円ずつ及び各内金一五一万五、一一〇円に対する訴状送達の日の翌日以降、各内金二一万八、〇〇〇円に対する昭和四五年三月三日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人らの連帯負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人堤義広、同堤義光、同堤アヤ子、同堤照彦及び同堤一馬代理人並びに被控訴人富重義人代理人は、それぞれ「本件控訴を棄却する。控訴費用は、控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の関係は、次のとおり付加訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決七枚目裏一一行目から一二行目に「自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円を受領できる見込であるから」とあるを「自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円を受領したので」と、同八枚目表初行に「分配取得することにしてこれらを」とあるを「分配取得した。従って、これらを」とそれぞれ改める。)。
控訴代理人は、次のとおり述べた。
(一) 被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子の帰責原因に関する主張(原判決事実摘示欄第二、二、(三))につき、次のように補充する。
被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子は、被控訴人義広の父母ないし兄弟として、同被控訴人が本件事故を惹起し、その結果同一の部落内に居住し、しかも親族関係のある訴外亡堤ミツ子を死亡するに至らしめたことを深く苦慮し、かつ、当時審理中であった同被控訴人の刑事上の責任をいささかでも軽減させようとの意図もあって、昭和四三年五月上旬控訴人らに示談の申入れをし、その折衝がつづけられるうち、被控訴人義光及び同照彦は同月八日、被控訴人アヤ子は同月一七日、それぞれ控訴人らとの間で、被控訴人義広の本件事故に起因する損害賠償債務につき、重畳的な債務引受をする旨約し、いずれもそのつど、その趣旨の書面(甲第三及び第四号証)を控訴人らに交付しており、従って、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子においても、本件事故による損害賠償の責任を免れ得べきいわれはない。
≪省略≫
被控訴人義広、同義光、同アヤ子、同照彦及び同一馬代理人は、次のとおり述べた。
(一) 控訴人ら主張(一)の事実のうち、控訴人ら主張の頃、被控訴人らが示談の申入れをして控訴人らとの間でこれが折衝のなされたこと、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子が控訴人らに対し控訴人ら主張の日にその主張の各書面を交付したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。右各書面は控訴人ら主張のごとき趣旨のものではなく、また、昭和四三年五月一七日に作成された書面については、裁判所に提出すべきものとして控訴人らに預託したにすぎないものであり、ひっきょうするに同被控訴人らが重畳的債務引受をしたことはない。同被控訴人らとしては、本件事故を惹起した被控訴人義広の両親、兄弟としてそれぞれ道義的責任を感じて控訴人らに示談の申入れをし、かつ、円満に示談が成立した場合には、同被控訴人らにおいてもその支払の責に任じて、示談内容の履行を確実ならしめる気持でいることを明らかにしたものにほかならないのである。
≪以下事実省略≫
理由
(一) 被控訴人義広は、みずからの運転行為上の過失に起因して本件事故を惹起した者の責任として民法七〇九条により、また、被控訴人一馬は、被控訴人義広の運転していた第二種原動機付自転車を保有し、これを自己のため運行の用に供していた者の責任として自動車損害賠償保障法三条本文により、それぞれ本件事故の結果亡ミツ子及び控訴人らの蒙った後記損害を賠償すべき義務のあることは、原判決の正当に説示するとおりであるから、ここに、原判決のその点に関する記載部分(原判決理由欄第一、一及び二)を引用する。
(二) 次に被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子の損害賠償責任の有無について判断する。
控訴人らは、被控訴人義光及び同照彦は昭和四三年五月八日被控訴人アヤ子は同月一七日それぞれ本件事故に起因する被控訴人義広の損害賠償義務につき、控訴人らとの間で重畳的債務引受をなし、そのつどその趣旨を明らかにした書面(甲第三及び第四号証)を作成して控訴人らに差入れている旨主張しているところ、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子が控訴人ら主張の日に、その主張の各書面(ただし、その趣旨とするところは別として)を作成して控訴人らに交付したこと自体は当事者間に争いがなく、成立に争いのない右甲第三及び第四号証によれば、被控訴人義光及び同照彦が昭和四三年五月八日に作成した書面は控訴人久儀を名宛人として表示し、かつ、末尾に同被控訴人らの署名拇印のあるもので、その文面は「昭和四十三年四月十七日午后八時十分頃柳川市有明町中開の県道に於いて、貴方の堤光子殿の交通事故死につきまして、加害者柳川市有明町上八丁堤義広(十九才)の父及び兄弟と致しましては、心より加害者堤義広にかわりおわび致します、と共に貴方に加へたる損害を賠償する責任をとります。つきましては上八丁の竜三太郎、木原憲太郎、堤曻、山田秀夫様四名の方に交渉を御願いして居りますのでよろしく御願いします。」というものであり、また、被控訴人アヤ子が同月一七日に作成した書面は、その末尾に被控訴人義光及び同アヤ子、さらには、控訴人久儀の署名拇印があり「嘆願書」なるみだしと「裁判官殿」なる宛名がそれぞれ記載されたもので、その文面は「昭和四十三年四月十七日午后八時十分頃柳川市有明町中開の県道に於いて柳川市有明町一六ノ六堤光子殿の交通事故死につきまして加害者の父母と致しましては心よりおわび致します、と共に責任を取ることにしましたので、堤義広の罪については将来もあることで出来るだけ寛大な処置をとって下さるようにお願い致します。」というものである。しかしながら、右各文面それ自体によっては、また、同各文面とその体裁等をあわせ徴してみても、いまだ、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子が控訴人らとの間で重畳的債務引受の約束をしたものとまで断ずることはできない。
そこで、進んで同被控訴人らが右各書面を作成するに至った経緯及びその後の状況について検討するに、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子がそれぞれ順次被控訴人義広の父、母及び兄であることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、控訴人久儀は本件事故によって亡ミツ子が死亡したのち、同訴外人の夫であり、かつ、一家を束ねる立場にある身として本件事故発生後一〇日位経過した昭和四三年四月二七日頃より、亡ミツ子の弟である訴外堤富一郎を介して、同事故に伴う損害賠償について被控訴人ら側の態度を打診し始め、他方、被控訴人ら側においても被控訴人義広が若年であり、かつ、右事故後逮捕、勾留によって身柄拘束の状態にあったため、同被控訴人の父親である被控訴人義光が中心となって右事故の後始末に乗り出し、同年五月二日近隣の有力者である訴外木原憲太郎(もと小、中学校校長)、同竜三太郎(農業実行組合長)、同山田秀夫(駐在員)及び同堤曻(もと市会議員)に控訴人ら側との示談の斡旋を依頼したこと、ところで、被控訴人らことに被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子においてかように控訴人らとの間の示談成立を望んだのは、本件事故の結果死亡するに至った亡ミツ子が被控訴人らと遠い親戚筋に当るうえ、同一部落内に居住して日頃より何かと接触があったところから、被控訴人義広の近親者としての立場上、同被控訴人の惹起した右事故に関して黙過しがたい心情にあった反面、示談成立によって、身柄拘束までされている被控訴人義広の刑事上の処分をいささかでも有利に導きたい気持があったためであること、かくして、右木原ら四名の者は、同月四日頃控訴人ら方を訪れて、本件事故による損害賠償につき、被控訴人らから示談交渉を委託されている旨伝え、次いで、同月八日頃より実質的な示談折衝を始めたこと、右八日には、控訴人ら側では、控訴人久儀のほか、前記富一郎、同控訴人の父である訴外堤辰蔵、兄弟である訴外堤栄治、同堤義光及び同堤利男その他多数の親族縁者が集まり、他方、被控訴人ら側では、示談折衝の斡旋を依頼された右木原ら四名の者のほか、控訴人らの要望によって、被控訴人義光及び同照彦も出席したこと、そして、同日の折衝においてはその冒頭、控訴人ら側及び被控訴人ら側双方の意向として、本件事故による損害賠償の問題は、なるべく示談によって解決し、裁判沙汰には持ち込まないようにすることを相互に確認し合ったのち、訴外義光から、被控訴人義光及び同照彦に向って、同被控訴人らが右賠償問題について、どのような腹構えで臨んでいるかを質したが、これに対して、被控訴人義光は、「双方の話合いで決まったことは裸になってもやります。」との、また、被控訴人照彦は「できるだけのことはいたします。」との趣旨の返答をして、それぞれその心境を披瀝したこと、ところが、右訴外人は同被控訴人らのこのような返答を聞いて、これを書面によって明らかにしておこうとの意図から、直ちに、控訴人ら側で予め文案を作成していた、控訴人久儀宛の前記書面(甲第三号証)を持ち出して、同被控訴人らに対し、同書面にそれぞれ署名、押印するよう求めるに至り、一方、同被控訴人らは、目が悪いのに眼鏡を持参していなかった被控訴人義光を除き、被控訴人照彦及び前記木原ら四名の仲介者において同書面を一応回覧したうえ、先ず被控訴人照彦が、次いで同義光がそれぞれ右訴外人の要望どおり該書面末尾に署名して拇印を押捺したこと、そして、その後右木原ら四名の者の斡旋によって、控訴人らと被控訴人らとの間に示談の折衝が進められたが、控訴人ら側では、総額金一、〇〇〇万円を超える金額を要求する意向を洩らす反面、被控訴人ら側では自動車損害賠償保償法による保険金三〇〇万円のほか、現金一〇〇万円もしくは田二反を提供するのが限度であるとの気持があり、双方の希望金額に懸隔が甚だしかったため、右訴外人らは示談成立の見込みは薄いものと判断して、同月一六日頃、示談の仲介を断念しこれを控訴人ら及び被控訴人らにそれぞれ伝えたこと、ところで、同月一七日は亡ミツ子のいわゆる月命日に当るところから、被控訴人義光及び同アヤ子は回向のため連れ立って控訴人ら方を訪れ、同訴外人の霊を弔ったが、その際、控訴人久儀及び前記栄治より、示談交渉継続の意思の有無とその方策について尋ねられ、新たな仲介者を依頼して示談の折衝を再開するつもりでいることを答えたところ、同控訴人らは、示談交渉がさらに継続されることを前提として、被控訴人義広のため嘆願書を作成することを申出で、同控訴人らが予め文案を作成していた、裁判官宛の前記嘆願書に同被控訴人らの署名、押印を求め、これに対して、同被控訴人らにおいても嘆願書作成の話が控訴人ら側より持出されたことを喜び、それぞれ該嘆願書末尾に署名して拇印を押捺し、つづいて控訴人久儀もまた同被控訴人らの署名、拇印と並べてみずからも署名して拇印を押捺し、かくして同被控訴人ら及び同控訴人の連名による嘆願書を作成したこと、しかるに控訴人らと被控訴人らとの間の示談交渉は結局その成立を見るに至らず、そのため右嘆願書も刑事裁判所に提出されることなくして終わったこと、以上の事実を認めることができる。≪証拠判断省略≫
そこで、叙上認定の事実関係に立脚して考察を進める。先ず五月八日に作成された控訴人久儀宛の書面について検討するに、控訴人らは、同書面作成の際被控訴人義光及び同照彦において重畳的債務引受をなしたものである旨主張しているけれども、該書面作成当時本件事故を惹起した被控訴人義広に損害賠償義務が既に発生していたことはいうまでもないところであるが、しかしいまだ示談折衝開始当初のことであって、賠償金額やその支払態様など具体的に確定していない時期であるから、そのような段階において重畳的債務引受をするというのも、いささか不自然である。かえって、右書面の文面と前叙認定のごとき該書面作成前後の一連の経過をあわせ徴すると、同書面作成当時における控訴人ら及び被控訴人らの意思としては、被控訴人義広が若年であって経済的にも賠償能力に乏しいうえ、控訴人ら及び被控訴人らは同じ部落に属し、しかも遠い親戚筋に当るところから、本件事故に伴う損害賠償の問題は、控訴人ら一家と被控訴人ら一家のいわば家族間の問題として解決すべきものとされ、その前提の下に示談折衝が進められたが、そのような解決方法をとることを合意し、特に賠償義務者側の立場に立つ被控訴人ら一家の中心的存在である被控訴人義光及び同照彦において、その趣旨を右書面によって明らかにしたものにすぎなく、換言すれば、元来事故責任者たる被控訴人義広(さらには、運行供用者たる被控訴人一馬)と損害賠償債権者たる被控訴人らとの間で進められるべき示談交渉につき、同被控訴人の親、兄弟であるその余の被控訴人らにおいてもこれに参加して示談当事者となることを承諾し、従って、示談が成立すればその支払の責に任ずべきことを約束したものにほかならない、とみるのが相当であり、示談の成否如何にかかわらず、被控訴人義広の負担している損害賠償債務につき重畳的債務引受をしたものとまでは、にわかに解せられないところである。次に、同月一七日に作成された嘆願書なる書面についてであるが、同書面はその文面及び体裁それ自体にかんがみても、まさに、被控訴人義広の刑事上の責任を軽減させるため、同被控訴人の両親である被控訴人義光及び同アヤ子が被害者亡ミツ子の夫である控訴人久儀と共同して作成した、刑事裁判所にあてた嘆願書にほかならず、これが作成された際の前叙認定のごとき諸状況を考慮に容れてみても、該書面に「責任を取ることにしました」との文言が挿入されているからといって、直ちに、それによって同被控訴人らが控訴人らとの間で重畳的債務引受を約したものとまで即断しえないことは、みやすき道理である。
尤も、≪証拠省略≫中には、右各書面につき、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子が重畳的債務引受(免責的なそれをしたとするかのごときものもある。)をしたので、その証跡を残すため作成したものである旨供述する部分があるけれども、叙上説示したところに照らしそれ自体不合理であることが否めないばかりか、その前提とする事実関係にして措信しがたいものがあることは、既にみたおりであるから、たやすく採るを得ない。しかして、その他本件全立証を総覧しても、当裁判所の心証を惹いて被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子が重畳的債務引受をなしたことを首肯せしめるに足る証拠は存在しない。
そうすると、被控訴人義光、同照彦及び同アヤ子が損害賠償責任を負うべきいわれはなく、この点に関する控訴人らの前記主張はこれを採用するに由ない。
さすれば、控訴人らの同被控訴人らに対する本訴請求は、爾余の点につき審案するまでもなく失当というべきであり、これが排斥を免れ得ない。
(三) そこで、進んで、さきに損害賠償責任の存在を確定した被控訴人義広及び同一馬の関係において本件事故の結果亡ミツ子及び控訴人らの蒙った損害額について検討する。
(1) 亡ミツ子の逸失利益について
≪証拠省略≫をあわせ徴すると、控訴人らの家族は、控訴人ら及び亡ミツ子のほか、控訴人久儀の両親が同居し、農業と畳製造販売業を家業として生計をたててきたが長男である控訴人一儀は会社勤務、長女である控訴人京子は学生の身であるうえ、控訴人久儀には神経痛の持病があって充分稼働できないところより、本件事故当時亡ミツ子は一家の重要な働き手となっており、同訴外人においては、控訴人久儀の母訴外堤ツルとともに家事に携わるかたわら控訴人久儀の指示の下に同控訴人や控訴人武男と協力しあって家業の農業と畳製造販売業に従事し、以下分説する収益を挙げていたが、その寄与の度合は総じていえば三分の一を下るものではなかったことを認めることができる。≪証拠省略≫中には、右認定に反し、亡ミツ子が殆んど独りで農業及び畳製造販売業に従事していたかのごとくに供述する部分もあるが、≪証拠省略≫と対比してもたやすく措信しがたく他に右認定を動かすに足る証拠は存在しない。
(イ) 農業所得関係
≪証拠省略≫によると、控訴人ら方では、兼業農家として田一〇、一八六平方メートルを耕作しているところ、昭和四二年度における年間農業所得は、その販売高が米三等級六〇叺金四六万四、八二〇円(一叺当り金七、七四七円)、麦三等級二六叺金八万二、〇〇四円(一叺当り金三、一五四円)、以上合計金五四万六、八二四円であり、その他に自家保有米として米一五俵金一一万六、二〇五円(一叺当りの金額、右に同じ)、麦五俵金一万五、七七〇円(一叺当りの金額、右に同じ)、以上合計金一三万一、九七五円の収穫があったことを認めることができ、これに反する証拠はない。そうすると特段の事情の見受けられない本件においては控訴人ら方では、農業所得として毎年これと同程度の収益をおさめ得るものと推認するのが相当である。
そこで、肥料、農薬代その他右規模の農業経営における必要経費として社会通念上当然に予想される額を控除し、かつ、前掲各証拠によって窺われる、亡ミツ子の自家農業に対する寄与の度合を参酌して考えると、同訴外人の農業による収益はこれをいかに控え目に見積っても、控訴人ら主張の額、すなわち一箇月当り金一万〇、〇二〇円、年間金一二万〇、二四〇円を下ることはないものと認むべきである(なお控訴人らは昭和四三年度における女子農業労働従事者の一日平均賃金が金一、〇〇二円であることを基準として算出すべきことを主張し、≪証拠省略≫によると、控訴人ら主張の該事実を肯認することができるけれども控訴人ら方が兼業農家である関係もあって、亡ミツ子が農業に従事する年間日数を詳かにすることが本件証拠上必ずしも容易でないばかりでなく、元来、証拠上農業による現実の年間収入額が明らかな本件にあっては、これを基礎として算定すべきことは当然の事理に属する。)。
(ロ) 畳製造及び販売関係
≪証拠省略≫に徴すると、控訴人方では、畳の製造、販売により年間金四〇万円を上廻わる額の純益をおさめていたことを認めることができ、反対の証拠はない。そこで、右各証拠によって窺われる、亡ミツ子の寄与の度合を参酌すると、同訴外人は畳製造、販売によって年間金一五万円を下らない額の収益を挙げていたものと認めるのが相当である。
なお、控訴人らは畳販売による収益のほか、畳製造による収入もあった旨主張し、右各証拠によれば、亡ミツ子は控訴人久儀の指導によって畳製造のための機械操作等に従事することもあったことが窺認されなくもないが、控訴人ら方では主として家族のみの手による畳製造、販売をその業態としている関係上、畳製造の手間賃をわざわざ経費に計上することをせず、製造した畳を販売することによって得る利益にそれを包含させて、これを一家の収益とする形態をとっており、その方法による収益が右金額にほかならないことが、やはり右各証拠上明らかであるから、畳販売による収益のほか、その製造による収入もあったとすることは、何としても惇理といわざるを得ない。
(ハ) 家事労働関係
≪証拠省略≫によると、亡ミツ子は前記ツルとともに家事労働に従事していたが、同訴外人が農業及び畳製造販売業に携わる関係上、家事労働に関するかぎり、むしろ右ツルが主であったことを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫
ところで、かかる家事労働に従事する主婦の逸失利益を肯定するか否かについては、問題が存しないわけではないけれども、当裁判所としてはこれを積極に解する。そして、その労働力は特段の事情の見受けられない本件においては、控訴人ら主張のごとく、家政婦の労働賃金に相当する収益を得べき見込あるものとして評価することも、あながち合理性を失うものではないと解されるところ、≪証拠省略≫をあわせ徴すると、福岡県家政婦協会が定める家政婦の労働賃金は昭和四三年度において一日当り金一、一二二円であったことを認めることができ、反対の証拠はない。
してみると、亡ミツ子の果していた、前叙認定のごとき程度、態様の家事労働を金銭的に評価すれば、少くとも控訴人ら主張の額すなわち一箇月当り金一万一、二二〇円、年間金一三万四、六四〇円を下ることはないものと認めるのが相当であり、従って、同訴外人はこれと同額の得べかりし利益を失ったことに帰するわけである。
かくして、亡ミツ子は右各労働を通じて少くとも年間叙上合計金四〇万四、八八〇円の収益を挙げていたものというべきところ、同訴外人の右年間収入額と対比し、また控訴人ら方は兼業農家であり、前叙認定のごとく、自家保有米を自家消費していたことを考慮すると、同訴外人の生活費は一箇月当り金一万円、年間金一二万円を上廻わることはないものと目すべきであるから、結局同訴外人は、年間金二八万四、八八〇円の純益を得ていたものというべきである。しかるところ、≪証拠省略≫によると、亡ミツ子は大正一二年一〇月三〇日生れの、本件事故当時満四四才の健康な女性であったことが認められるから、厚生省大臣官房統計調査部編「第一〇回生命表」及び運輸省自動車局保障課編「政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準」を参酌して考慮すると、特段の事情の見受けられない本件においては、同訴外人は本件事故に遭遇しなければ、その平均余命三〇・八二年の範囲内で少なくとも一九年間にわたり稼働することが可能であったものと推認するのが相当であり、従って、ホフマン式計算方法によって年五分の割合による中間利息(係数一三・一一六)を控除すると、本件事故当時における一時払額は金三七三万六、四八六円となることが計数上明瞭である。
従って、亡ミツ子は、右事故の結果少くとも金三七三万六、四八六円の得べかりし利益を失い、これと同額の損害を蒙ったものというべき筋合である。
しかるところ、≪証拠省略≫によると、控訴人久儀は亡ミツ子の配偶者(夫)であり、また、控訴人一儀、同武男及び同京子はそれぞれ同訴外人の子であって、いずれもその相続人たるべき地位にあり、他に共同相続人とみなすべきものの存しないことが明らかであるから、特段の事情の見受けられない本件においては、控訴人らは、右訴外人の死亡により、その被控訴人義広及び同一馬に対する損害賠償請求権を法定相続分の割合に応じて、すなわち、控訴人久儀において三分の一に当る金一二四万五、四九五円、控訴人一儀、同武男及び同京子において各九分の二に当る各金八三万〇、三三〇円ずつの割合で相続したものと認められる。
(2) 控訴人らの慰藉料について
本件に顕われた一切の事情を参酌し、公平の見地に立脚してかれこれ考慮すると、控訴人らが本件事故によって受けた精神的苦痛に対する慰藉料は控訴人久儀において金一二〇万円、控訴人一儀、同武男及び同京子において各金六〇万円と定めるのが相当である。
(3) 葬儀費用について
≪証拠省略≫をあわせると、控訴人久儀は亡ミツ子の葬儀費用として合計金一五万四、〇五二円を負担、出捐したがその費目及び数額は、控訴人らの家庭環境、生活程度、さらには地方的風習等と対比して相当な範囲に属するものであることを認めることができ、この認定を妨げる証拠はない。
そうすると、同控訴人は本件事故の結果右同額の損害を蒙ったものというべきである。
(4) 弁護士費用について
かくして控訴人らさらには亡ミツ子は、本件事故により叙上説示のとおりの損害を蒙っているところ、他方、後記で考察するとおりの損害填補を既に得ているので、結局これを控除した金額が本訴において被控訴人義広及び同一馬に請求し得べき金額となる。しかるに、≪証拠省略≫をあわせ徴すると、控訴人らは同被控訴人らに対して、その任意の弁済を求め、幾度か折衝を重ねたが、同被控訴人らにおいてはこれに応じないので、やむなく弁護士である本件控訴人ら訴訟代理人に本件訴訟の提起とその追行を委任し、既にその着手金として金一〇万円を控訴人久儀において負担、出捐して支払い、かつ、勝訴判決を得た場合成功謝金として控訴人らそれぞれが各自その勝訴額の一割を負担、出捐して支払うべきことを約束したことが認められ、該認定に反する証拠は見当らない。
そして、本件事案の内容、性質、本件訴訟の経過、本訴における請求額及び認容額その他一切の事情にかんがみれば、本件事故と相当因果関係のある損害として被控訴人義広及び同一馬に賠償せしむべき金額は、控訴人久儀につき金二〇万円(同控訴人は着手金を負担、出捐しているので、これを参酌する。)控訴人一儀、同武男及び同京子につき各金七万円ずつと認めるのが相当である。
(四) さすれば、控訴人らは被控訴人義広及び同一馬に対し、前項(1)ないし(4)の合計、すなわち控訴人久儀において金二七九万九、五四七円、控訴人一儀、同武男及び同京子において各金一五〇万〇、三三〇円ずつの各損害賠償請求権を有するものというべきところ、控訴人らが本件事故につき自動車損害賠償保障法による保険金三〇〇万円を受領していることは、控訴人らの自認するところであり、同法の趣旨にてらし、かつ弁論の全趣旨をあわせかんがみれば、右保険金は、控訴人らの相続分に応じて、すなわち、控訴人久儀がその三分の一に当る金一〇〇万円、控訴人一儀、同武男及び同京子がその各九分の二に当る各金六六万六、六六六円ずつの割合で、その損害に充当、填補したものと推認するをもって相当とするから、結局これを控除すると、控訴人久儀については金一七九万九、五四七円、控訴人一儀、同武男及び同京子については各金八三万三、六六四円ずつが、それぞれ本訴において被控訴人義広及び同一馬に請求し得べき金額となるわけである。
(五) そうすると、被控訴人義広及び同一馬は各自控訴人らに対し、次の各金員を支払うべき義務あるものとしなければならない。
(1) 控訴人久儀に対しては、右金一七九万九、五四七円と、内金一五九万九、五四七円に対する、本件事故発生後であり、かつ訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四三年六月一五日以降、内金二〇万円に対するやはり本件事故発生後である昭和四五年三月三日(記録上原判決言渡の日の翌日に当ることが明瞭である。)以降、いずれも完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金。
(2) 控訴人一儀、同武男及び同京子に対しては、右各金八三万三、六六四円と、各内金七六万三、六六四円に対する前記昭和四三年六月一五日以降、各内金七万円に対する前記昭和四五年三月三日以降、いずれも完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金。
(六) 被控訴人義広の惹起した本件事故につき、被控訴人富重が損害賠償の責を負うべきいわれのないことは原判決の正当に説示するとおりであるから、ここに原判決のこの点に関する記載部分(原判決理由欄第二、一及び二)を引用する。
してみれば、控訴人らの被控訴人富重に対する本訴請求は、ひっきょうその理由なきものとしなければならない。
(七) 以上の次第であって、控訴人らの本訴請求のうち、被控訴人義広及び同一馬に対する請求は、前叙説示の範囲内で正当であるから、その限度で認容し、これを超える部分は失当として棄却すべく、また被控訴人義光、同アヤ子、同照彦及び同富重に対する請求はすべて失当であるから、所詮これが排斥を免れない。
よって、これと一部結論を異にする原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき、同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐藤秀 裁判官 松村利智 篠原曜彦)